2015年 1月7日  午前9時 〜

社長の新年のことば
 
(従業員のみなさんへ : 4日〜インフルエンザなので メールにて7日に配信)


『素直』

 1: イチローはねっ   10: 文化を遺す
 2: 実はすごい  11: 自分の立ち位置
 3: 「素直」に人の話を聞く習慣  12: 諦めない 
 4: 日記   13: 俺がやらねば誰がやる 
 5: 記録  14: 第三者 
 6: 自叙伝  15: 先ずは品質 
 7: 自分史  16: チャンス 
 8: 自分史に興味  17: 素直
 9: 「ゆく年くる年」  


      

 あけましておめでとうございます。 皆 無事に新年を迎えることができました。 (私の風邪以外、、)

「社長のことば」 ということで年始は必ず直接話していますが、風邪がうつるとマズイのでメールにての挨拶となります。 毎度の話もありますが、

●1: イチローはねっ:
 「小学生の時から、こんな望みを抱いて日々努力を欠かさず、だから今のイチローがあるんだよ」 とか
 「稲盛さんはねっ・・・」 っていう話を私がいくら共有したい、と思って話しても
説得力はほとんど無いでしょう。

「イチローのことば」 「稲盛さんのことば」 であり
「私のことば ・ 私が体験したこと」 では無いですから。

●2: 実はすごい:
会社です。 かつては1000 社近く存在した複写業 ・ マイクロフィルム業者。 昨今は200社くらいまでに減少してゆくなか、創業から50年以上 経営理念と方針・品質方針を作成しながら、機器やソフトの付加価値を高めたり、工夫・開発を重ねてきました。 社会への貢献に獅子奮闘しながら多くの困難に応えながら会社を存続出来てきた、という数少ない会社なのです。
「社長のことば」 として、私の 「非常に多くの失敗」 と 「成功」 の話しを皆さんにしていても 「説得ができない」 という経験が多くあります。
ゆえに私はマダマダなのです。

●3: 「素直」 に人の話を聞く習慣:
が既にある人であれば何を話していても問題は少ないのでしょうかが、

しかし、私自身も 「人の話を素直に聞く習慣」 を持とう、 としつつも、なかなか出来て無い場合があります。
エラそうなことは言えません、
そんな私? ですから 年始の
「社長のことば」 の際に 「他人のことば」 を中心に話したくはありませんので、ご理解ください。



なので、私の体験の話となります。
●4: 日記:
を (記録) 書いて置く事の大切さ、をしみじみと感じています。
私は18歳の夏から今日まで、毎日の出来事の記録をほとんど欠かした事がありません。

記載事項は、日記という意味から少し外れるかもしれませんが
「何時に起きて・何処で・誰と・何をしたか・何を約束したか」 等 を時系列で記録 ・ 印するだけなのです。

●5: 記録:
する習慣としてその日記の中で (23歳ころ多く複雑な仕事への対応、苦肉の策で始めた習慣)
  1・ 「約束した事の文字から棒線を書く」
  2・ 「その先に □印 を記載」
  3・ 「約束を完了するとその □印 内に × を付ける」
     という事をずっーと (今も) しています。

この 「記録の習慣」 以来、 「日々多発し記憶に追われる頭」 の中が、非常に楽チンとなり、
かつての仕事の10倍以上の業務を担当しても、 それらを苦しまずに、逆に楽しめるように成りました。
 (無論 回りの協力者に多くを助けてもらいながらです)

「約束」 は忘れないように極力その場で記録。
そして □印 の中に 「×」 を付ける事の充実感を楽しむように成りました。
記録したことで 「×」 がない物も当然発生します。 毎日が 「記録」 とにらめっこ、と成ります。
そして毎週末、毎月末 そして毎年末に 「×」 ができて無い項目の 「集大成」 を作成し、
次の年への記録へ と繋げます。

そして、その日記 ・ 記録と 「自ら集めた名刺」 (お会いした日付を記載 : 約30年で約2万人) 又 他の記録と
整合すると、ゆくゆくは簡単ながらも 「自分史」 を作成するような時期が来たとしても
記録がある分、面倒な事がほとんど無い状態となります。

これは、私にとっては精神衛生上 「この上ない幸せ」 かもしれません。
 (万一に備え、記録も名刺も時折、複製・スキャニングしています)

●6: 自叙伝:
(歴史小説・自叙伝) を私は少年時代から読む事がありました。
野口英雄 ・ キュリー夫人 等の自叙伝全集が図書館に在りました。

無意識のうちに?潜在的に?か
自分も 「自叙伝」 と言わずとも 「自分史」 が書けるように成りたい、という想いが
在リ続けている事に気が付きます。

落ち着いて考えてみると
「その想い」 こそが今までの自分の 「言動の基本」 となっている、と感じます。
書くこと自体が 「楽しみ」 となり 「苦しみ」 にも成ります。

今まで経験の 「良い事も、悪い事も」 「記録をとる」 ことにより
 【 ”悪いことは忘れ去る” とは真逆 ・・・ 心に痛い事にもなりますが】
その現実が 「土壌」 のように少しずつ重なり合ってゆく感覚、となっております。

自分が言動した記録、 「日記・記録」 が在って、それが 「自分の土台」 となって未来を構築してゆく。
みたいな・・・
自分の 「心の柱」 と (必然と) 成っている、 私の場合は非常に強く そのように感じています。

●7: 自分史:
を将来、作る? 作らない? は別としても
「もし18歳の夏に日記を書き始めなかったら・・・」
と、考えると 恐怖に似た感覚です、 「ゾっ」 とします。

皆さんで、既に日記を書いている人もいるでしょう。
そしたら、その日記の済に 「約束の印 □ 」 をつけた記録をはじめましょう。
今からでも決して遅くはありません。
日記 ・ 記録を書いた方が、どのくらい自分の為になるか、と感じる事と成ります。

そう言いながらも
自分の子供たちに 「日記・記録の面白さ」 を話し、毎年末の度に進めていますが
どうしても3日坊主です。
「自分の説得力の無さ」 「なぜ3日坊主となるのか」 の原因を調べています。
マダマダ、イマイチの自分です。

●8: 自分史に興味:
が湧いたのは (約25年前) お客様である駒澤大学職員の方から
「自分史の本」 を作りたいけど・・  とのご相談を受け、受託しました。
その当時、当社ではお請けした事が無いテキスト入力等の作業でした。
私は、製本前の文面を何度も校正させて戴いているうちに 「自分史」 に興味が湧きはじめました。

当然の話となりますが
「自分史」 は 「自分」 でしかつくれない記録であり、自らの 「存在価値」 の 「証拠」 であり
「証明」 でもある。 これこそ自分の 「独自の文化」 だ。 と 「実感」 しました。
 (文面で書いても、私の当時の 「実感」 が伝わら無いかもしれません)

●9:  「ゆく年くる年」:
というテレビ番組を今年も見ました。 皆さんも見た事があると思います。
日本国内に限っての放送にも関わらず、毎々多くの地域で、各行事の由来や慣習が有り、
その慣習を何のためらいも無く行っている地域の人々がおり、それを 「素直」 に守っている事。
そこに 「地域の文化」 が表現されます。 
「自分の文化」 との違いに面白さ・興味を抱く人が多いのではないでしょうか。

「わっ、何で氷水かぶってる?正月から風邪ひいちゃうよね」 とか、笑いながら・・。
その慣習の理由、由来がしっかりと在ったりするから面白いんですね。
 (私は氷水を被っていないのに正月から風邪をひきましたが、、)

●10: 文化を遺す:
事が、どのくらい大切な事なのか?
は私なりの経験は 「社長のことば」 等の中でHPに十数年間 書いてきたとおりです。

「個人の記録」 もそうですが、
「地域の記録」 の大切さを 
昨年 多仁照廣先生の講演内容で更に確認できる機会が得られました。
ビデオで撮っており、編集して YOUTUBE で配信するご許可も得る事が叶いました。

「世界遺産 古文書」 で検索すると出てきます。 とても素晴らしい内容です。

多仁先生とは、父の世代から40年以上のお付き合い戴いている方ですが、
お会いする度に 「開発談議」 に花が咲きます。
古文書を 補修したり デジカメ撮影したり と工夫・ 開発を絶えず行われ、 それらの情報交換です。

情報交換 というのは名ばかりかもしれません、 恥ずかしながら私達はプロなのに、
逆に多仁先生から 「教えて戴いている 開発内容」 の方が圧倒的に多いのです。

多仁先生は、かねてより正直な言動をされる方であり、それゆえにか理不尽との戦いが生じているように
私からは見受けられます。 歴史、文化的交流で様々な方々とで出会い、様々な理不尽な人々を助ける事
ととなっております。
かつては、「市を改革しなくては」 との回りのご期待に応えての市長選参加をされております。

理不尽 ・ 不条理との戦い、又、そのような人を助けることを含め、日本中を動き回っておられ
るように見受けられます。
多仁照廣先生のような誠実かつ大胆で、行動的な優れた人物が、この日本に居らっしゃる事、
それはとても光栄であり、運が良いことと感じています。

その多仁先生の講演会 「古文書を引き継ぐ」 活動の映像の一部です。
「古文書の必要性」に焦点をしぼり ◇15分48秒に編集
  http://youtu.be/r3mpCeFD0BA

●11: 自分の立ち位置:
を確認するには? 多仁先生はこの映像の中で
「歴史研究、 私はこんな事していて、いいんだろうか?」
「自分の仕事の意味」 との問答が かつて在った事を 「素直」 にお話しされております。

「多仁先生ほどの、歴史学の大人物」 のお言葉とは思えませんでした。
しかし、私は少し安心するような気がしました。
私も 「この仕事をするためにご縁が在って生まれて来た」 と、なんとなくですが実感できるまでに
「長い歳月」 を要しました。
「懸命に仕事する人」 との出会い、「素晴らしい教科書」 等との巡り合い、などのお蔭げです。

●12: 諦めない:
気持ちで 「今 ご縁が在って携わっている事」 を 不安ながらも 「一所懸命」 に行っていれば
今後、どのような時代となっても必ず自分の立ち位置が見えて前に進めるでしょう。
これも 「ことば」 だけではなく、自らが 「体験」 してゆかなければ解りようが無いかもしれません。

●13: 俺がやらねば誰がやる:
という気持ちの持ち主は、物心ついた頃からか? それとも熟成されてのことか?
私は両方である気がします。

「いつやるの?」 「今でしょ」 という言葉が一昨年にやたらに流行ましたが
「記録を遺す事、その行動をいつやるの?」
「今でしょ」 どころか
「もうすでに50年以上、してきたでしょ」

じゃ、今まで誰が 「道なき道」 を創ってきてたの?
今後 あなたは、創造に参加するの?
「俺がやらねば誰がやる」 という気持ちの人は?  俺じゃないの?
「誰がやるの?」 と問われた時
勇気を出して 「私です」 と先ずは有言してみよう。 これには中途半端ではない 「勇気」 が必要なのです。

各アーカイブズにおいて 「残念な事に予算が付か無いんだよね」 という現実を
「誰が」 「どのように」 「実現できるの?」
「俺が」 「こんな工夫と協力者を得て」 「実現のためにこんな言動」 を してゆく人は 「誰?」。

今年は昨年にも増して、それぞれの分野で新しいことに挑戦している 「俺がやる」 という 「同志」 が
情報を交換し合い 実現のチャンスを得れる一年としてゆきます。

●14: 第三者:
として、「頭」 や 「心」 を余り使わないままの 「ポジション」 でいたり、
(皆、体はある程度幸運にも動かせる) 「観客席側」 に近いところで野次を飛ばしていると、
あっと言う間に そのまま時間が過ぎてゆくでしょう。

仕事 (ゲーム感覚でも良いので)に 真剣に参加し、面白く楽しい一年を創ってゆきましょう。
「自分がやる」 という事が習慣となれば、そうでない人の人生の充実感に比べると百万倍となるでしょう。
比べる事自体が無意味かもしれません。
その極限は 「お金の為に働く」 というレベルを超越しているような境地かもしれません。
私はまだまだです。

●15: 先ずは品質:
を確保するために 「検査」 を徹底してください。 
昨年は歯車が狂うことが一部で重なりました。 再発の防止により 今年はもう大丈夫ですね。
一歯車として手を抜かずにバカ正直に仕事をする。 社会の要求に 「素直」 に答える。

そして 「自分はそんな事まで出来ない」 と最初から諦める癖がついている人は
今年こそが 「新たな挑戦ができる数少ないチャンスの年」 と考えましょう。
「花が開くまで」 諦めずにやれるか? は自分との勝負となります。

●16: チャンス:
は他人が勝手に運んできてくれる訳ではありません。
努力・用意・万全の準備している人でも 「チャンスの前髪」 をつかめない事が多々あります。

しかし不思議と 「何もしないのにチャンスが来る」 事があります。
それはずっと長続きはせず、放っておくと、ゆくゆく逆に動いてゆきます。

●17: 素直:
になってお互いに考えてみましょう。
先ず、日に日に新たなる事に自分がどのくらい挑戦できてきたか? そんなに無ければ
「イマイチ本気ではない自分」  「イケテない自分」 に気が付き、
「一所懸命」 に自分で挑戦する項目を探し、有言実行してゆく習慣をつけてゆきましょう。

「飛込み営業の営業マン」 と同じで 「成功体験」 のみが、仕事が楽しくするのです。
毎々同じことを言いますが 「諦めたら そこでおしまい」 です。

今年もみなさん「健康」 に気を付けて
「現状」 を良い方向に導いてゆく事を 「諦めない」 で、すばらしい一年を創ってゆきましょう。 以上