2011年1月5日  午前

社長の新年のことば (従業員のみなさんへ)

「善悪 ・ ご縁」

アーカイブ        自分達が幸せなら 
民主主義 許せない
善悪 ご縁
凡事徹底        唱和



●アーカイブ:

という分野で、私たちの会社は 「日本一存在価値の高い媒体保存の専門企業」
を目指していますネ。
世の中が要求するもの、お客様の高い要求に応えるために
産学での実験 と 特許の取得に挑戦しています。

「正しい記録の管理・保存」 こそ
官公庁、民間企業等の記録 (情報) が
 「過去から現在の組織の立ち位置を明確にする」 とともに
 「次時代への基盤」 となり
 「未来を創造する源」 にもなります。


●民主主義:

デジタル情報化時代において
「確実に永く後世に記録を残す」 ことを目的とする企業が
(日本国内において)充実していると思える会社は、まだ多くはないと感じています。

私たちマイクロフィルム業者は、
戦後よりその先兵として、情報の 「縮小と長期保存」 を目的として歩んできたなかで
その 「長所の再確認」 と 「短所の対処」 が急がれます。

そして
デジタル情報の 「改ざん回避」 と 「長期保存」 の対策の実現が叶うまでの間
現在のマイクロフィルムの保存、複製フィルム化や媒体変換、また
第二のマイクロフィルム、次のアナログ媒体を模索、開発しながら
「記録の永年保存」 を放棄させぬように進めてゆかねばなりません。

それは戦後、約半世紀以上にわたり
「様々な記録を縮小して長期保存」 させるためにマイクロフィルム化を行ってきた
私たちだからこそ適えられる視点があり、情報の長期保存プロジェクトの中心として
機能することが出来る立場にあるのです。

「過去と現在の記録の保存と活用」
その実現こそ、国民主権たる真の民主主義の実現となります。

しかし、果たして民主主義が 善であるか? 悪であるか?
少なくとも国民一人一人の生命の尊厳さを国レベルで
ある程度の情報公開を義務づけながら、正しく認めてゆこうとする方向は
他の主義より人の心を大切に扱おうとするぶんだけ
良い方向ではないのでは、と考えております。


●善悪:

何が善で何が悪であるか?
その判断は、歴史 (子孫たち) が結論を出してくれるものかもしれません。

「偽善者」 という言葉を耳にしたとき
時として 「ドキッ」 としてしまう自分がいるものです。

どのような立場の人が
何ゆえに判断するのか? 
時と場所と状況により、それらも影響して
善悪判断が成されるのでしょうが
「他人を偽善者と判断をくだす人の心のありよう」 も
ある意味において偽善の心の中にあるものでしょう。

裁判員制度のジャッジ担当者は
どのような基準で対応しているのであろうか?
昔の漫才の落ちではないですが 「考えると眠れなくなっちゃう」
なんていうことは無いのでしょうか。

「偽善」 と言われようが、そうでなかろうが
下心が十分あろうが、少なかろうが
「善」 の言動をただただつづけてゆけば
それが 「善」 に成っているものかもしれませんネ。

しかし、自分では 「善」 と思って言動したことが
結果的に多くの人に迷惑をかける 「悪」 となってしまう可能性も
秘めているものなのでしょう。

「その時 自分に集まる判断材料」 に基づいて自らのジャッジに
基づいて言動するわけですが
それら、集まる 「判断材料」 の 「真生性」 にもより注意しなければなら
ないものでしょう。


●凡事徹底:

様々な意見を深く考えつつ、そして惑わされず、とにかく
お天道様が私たちに与えてくれた生業
「自分に与えられた当たり前の仕事を 可能なかぎり当たり前のように行ってゆく」
「わき見をせずに!」
簡単なようで、とても難しいことかもしれません。

そこには善悪の判断をとおりこした疑りのない 「素直な心」 が奥底に必要でしょう。

人はみんな 「自分達は幸せになりたい」 (自分達は不幸になりたくない)
ということに重きをおいて生きてゆくことは、善とか悪とかではなく
それも、偽りない 「素直な気持ち」 でしょう。
そして


●自分達が幸せなら:

自分達 が幸せになりたいの 「達」 ってどこからどこまでなの?
っていうことが、自分の心の幅を知る 「基準」 だと感じています。

「私」 が幸せならいいの?
「私と好きな人」 が幸せなら?
「私の家族、親戚」 が幸せなら?
「私と気の合った仲間」 が幸せなら?
「私と志の同じ人」 が幸せなら?
「私の会社とその家族」 が幸せなら?
「私の所属する業界全体」 が幸せなら?
「私の住む町や都道府県」 が幸せなら?
「私の住む国」 が幸せなら?
「私の住む東南アジア」 が幸せなら?
「私の住む地球」 が幸せなら?
「私も住む宇宙」 が幸せなら?
「私の存在する○○」 が幸せならいいの・・・?

自分達の 「達」  って範囲を忘れがちなので
いつも、気にかけておくべきだと感じています。


●許せない:

その反面、
「あいつのあの言動だけは許せない」 の 「だけ」。
これも自分のこころに確認することが大切だと思います。

この 「だけ」 って何か?
「あいつのこの部分が絶対に許せない」 の
「この部分」 とは・・・。

「統合の思想」 (竹内日祥上人) の説明によれば
「それこそ自分自身の中にある自分が許せない嫌いな自分の一部なのである」
とのこと。

「自分と関わりを持つすべての人は、ご縁があってかかわっている。
 ご縁が無い人には この世では、出会いさえしない」 とのこと。


●ご縁:

私達は、何かしらのご縁があってかかわってきた方々が
公私ともに回りに大勢いらっしゃいます。

経営方針にもあります。
「私たちと私たちを取りまく人々の より豊かな生活の実現を図ります」
「私たちを取りまく人々」 がご縁のある人です。
お客様であり、メーカーさんや問屋さんであり、同業者でもあり、さまざまですが
それこそご縁があって私たちを取りまく人々です。

ご縁は
「善悪」 の判断の外にあるところであり
何かのご縁でお会いできている。
その
 「不思議さ」 と
 「有難さ」 に
しっかりと気が付きながら過ごせるよう
心がけたいものです。

本年も
私たちと私たちを取り巻く人々が、少しでも健康に仕事でき
幸せに生活できることを祈念しつつ
新年のあいさつとさせていただきます。


●唱和:

経営理念:会社方針:品質方針:環境方針 唱和 (正実氏)
一本締め (貞方氏)