第8回 資料保存シンポジウム
 【特別講演】 全文

 講師: 多仁照廣先生 (涛声学舎舎主)
 内容:
 「文化財未指定の古文書修復の必要性、具体的対応と問題点について」
 
 主催: 情報保存研究会(JHK)、 共催 日本図書館協会  
 後援: 全国歴史資料保存利用連絡協議会、国立大学図書館協会、私立大学図書館協会、
      文化財保存修復学会、ARMA東京支部、企業資料協議会、全国大学史資料協議会、
      記録管理学会、アート・ドキュメント学会、専門図書館協会、日本アーカイブス学会

    場所: 東京国立博物館 平成館大講堂
    日時: 2014年10月20日 13:15〜14:00  (約 45分 :下記 全文)
    【映像】はこちら : 15分48秒
              (古文書修復の必要性を抜粋 : 下記色文字部分)
         You Tube のタイトル: 『廃棄されつつある古文書 世界遺産の崩壊を防ごう』



(司会): 午後のプログラムをはじめさせていただきたいと思います。
 「文化財未指定の古文書修復の必要性、具体的対応と問題点について」
涛声学舎 (とうせいがくしゃ) 舎主・多仁照廣先生よりお願いしたいと思います。
多仁先生は、中央大学大学院文学研究科博士課程修了後、国税庁税務大学校租税資料室、敦賀短期大学日本史学科教授を経て、現在涛声学舎の舎主として古文書の修復などに尽力されております。 それでは多仁先生 よろしくお願いいたします。 

 
 
●こんにちは。 今ご紹介いただきました多仁です。
涛声学舎というのは別に大学でもなんでもなくて、私の自分でやっている私塾です。
あまりお気になさらないでください。ではさっそく時間が限られていますので続けさせていただきます。 今日は 「文化財未指定の古文書の修復の必要性、具体的対応と問題点」 というタイトルで話をさせていただきます。
文化財未指定とはなんか難しい言葉ですけれども、普通の町や村にある一般の古文書、文化財指定されていない物すべてを含んでおります。この修復というのは、現状でも毎週、火水木という形で進めております。
研修も受け入れてます。
(古文書の修復は) 無料とは言ってませんけれども、志しか頂いておりません。
私が開発したやり方というのはコストの安い、習熟度も非常に低くて済むんですが、それでもやはり、人件費、時間はかかります。そのお金を頂くと、みんな、じゃあいいです、と捨ててしまいますので、残らなくなります。 そういう意味では、ほとんどまあ、無料というよりはこちらが材料費出して修復してさしあげているというのが現状です。

●私がこういう開発に着いた基礎的な条件
としては、敦賀短期大学では、大学も私が定年退職と同時に無くなってしまったんですけれども、和紙越前和紙の技術というものを教えていました。
私自身も、栽培が出来ない、しにくい、といわれたガンピの人工栽培なんかもやっておりますけれども、紙そのものの研究をして、また教育もしておりました。で、ひとつのきっかけはデンマークで開発されたリーフキャスティング、マシーンが日本に導入されたという事でした。
当時、私は国税庁税務大学校 租税資料室の研究調査員として、資料の修復を注文する方の立場にありました。 その仕事のなかで、実は30年ほど前に、国家賠償請求額が、姫路市一箇所で2000億円という団体の全国訴訟に当たりました。 そして指定保存の無い「資料」でその危機を、国家の危機を救う事を経験いたしました。 また、私の本当の専門は、お神輿を担ぐ若連中の研究、青年団の研究が一貫したテーマなんですけれども、そういう関係で地方、そして地域の資料、また歴史と関わる中で今までやってはいました。





1990年に地方史研究協議会多摩大会が開かれまして、そして、石川酒造の雑蔵 (ぞうぐら) という史料館の建設、企画設計を依頼されまして、文書の修復を、依頼をするというような経験がありました。 そして東京修復センターを含めて、さまざまな修復の工房をお訪ねして、その技術を、知識を、教えていただきました。
しかし、いろいろな工房を見るにつれて、なぜ日本の和紙の技術、流し漉きに比べて、溜め漉きという一番古い和紙の技術、それがなぜヨーロッパで開発されて、それを逆輸入しなきゃいけないのかというところが、納得がいきませんでした。
そこで、当時元興寺文化財研究所で溜め漉きの技術で修復をして雰囲気がいいよという事を聞きましたので、お訪ねして見せていただきました。 リーフキャスティングは裏に文字があっても大丈夫なんですけども、元興寺さんのやり方は裏に和紙を貼ってしまうような形になってしまうんですね。
だから裏に文字のある物は見えない、全面裏張りと同じような事になってしまう。 これはちょっとまずいなという事で独自の開発に入りました。

●開発の条件
は、大学ですから研究だけじゃなくて教育に落とさなければならない。
短期大学ですので2年間しか学生は在籍する事が出来ないんですね、まあ留年は4年までですけれども。
したがって 「習熟度が低くても出来る」 という事と、そして数百万する物を買うような力のある大学ではないので、器具の作成をまで含めて 「低コスト化をする」 という事が求められました。
しかし、このふたつの条件が整うという事は、
他所でも出来るという事になりますので、そういったコンセプトで開発を始めたわけです。 そのポイントは、技術的にはですね、1枚の古文書を修復するのに必要な繊維量を定量化する事だったのです。





●それには実はデジタルカメラ
というものの技術の蓄積が大きかったわけです。 敦賀短期大学に赴任以来、学生たちを引き連れて、字ごとの集落の歴史民俗調査をやってまいります。
結果的には33ヶ地域、19冊の報告書、3300ページの、学生たちによる報告書を作成しました。 いまでは大変貴重な資料となっています。 民俗含めた、景観を含めた調査が特徴です。 その際にマイクロフィルムを当時は使っておりました。定置型マイクロとポータブルと、持っていきました。 ポータブルは持参金代わりに大学へ赴任する時に私が鈴渓財団からいただきまして持っていった物です。 しかし、マイクロフィルム、特に定置型マイクロは学生が取り扱いますとフィルムが正しく入らなくて曲がってしまうんですね。 滋賀県の信楽町における滋賀県立図書館の委託調査で、12本のマイクロフィルムで済むのを、36本使ったんですね。 結局正しくフィルムが装填されず走ってしまうという事で大変な損失を被る、まあ学生を責めるわけにもいきませんので、これはちょっとマイクロはそろそろ止めようかと。 その時にちょうどキヤノンのデジタルカメラが市販されるというタイミングでした。 130万画素で、ボディ本体で180万円いたしました。 信じられない事ですけれども。 おまけにSCSIですのでデータが流れないんですね、流れにくいわけです。 しかし、フィールドワークに使うからには、ノート型パソコンとMOドライブとカメラを連結して、そしてパソコン側からカメラを操作出来なければ、実際は出来ない。 しかし、メーカー側の方はカードを2枚買ってフルになったらコンピュータで見てくださいと、それは無いだろうという事で、ケーブルをですね、ケーブルがポイントですので、流れるケーブル、1メートル以内の、あるメーカーなら出来るという事が分かりましたので、あとはワンセットで装着出来て折り畳みの出来る三脚と、水道の金具とかいろいろな物で台を作って、使っておりました。
それが1995年ですね。
全面的にデジタルカメラに、資料の撮影は、シフトしたわけです。
そして1997年に全史料協の高松大会でデモンストレーションを行いながら研究報告をいたしました。 当時は130万画素で高精彩だったんですけれども、高精彩デジタルカメラによる資料の入力方法の技術的な問題と課題点というテーマでお話をいたしました。
主たるテーマは、実は、古文書をスクリーンに出しておいて、否定句の有る語と無い語を入れ替えて、ペーストをしたら分かりません。 したがってデジタルの情報というのは書換え可能がどこまでいったって出来るので、これは裁判の証拠資料としてはかなり難しい。 マイクロフィルムでさえなかなか難しかったです。

●そういう意味では現物保存が原則であると 。
現物保存を原則として、その補完的なものとしてデジタルを使うしかないんですよというお話をして来ました。 ところが、みなさん、250人ぐらいの方々は、そこで撮影をして、そしてそれを画面に出す、そのデモンストレーションシステムの方に関心を抱かれたんですね。
ほとんど内容については覚えていらっしゃらなかったような気がします。
しかし、そこで国立公文書館の方が1週間前にシンガポールの公文書館長と話して、日本ならデジタル化出来るでしょうと言われたけど、出来ないと答えてきたけど、実は出来るんですねというようなことがありました。 国立公文書館のデジタルアーカイブ室のひとつの契機でした。





そういうご縁もありまして、2002年から04年までは国立公文書館の専門職養成講座が始まるわけですけれども、そこで先ほどご紹介した姫路市の例ですが、国家賠償請求額を、全国では数兆円に及んだ事案でしたけれども、それがたった1点の保存規定の無い資料で全部取り下げさせたという、その経験で行政とアーカイブスを担当いたしました。
そして一応デジタルの講座の最初を私が、そんな技術を持っておりましたので、簡単な技術ですけれど、担当させていただきました。
そういうデジタルカメラを使いまわすというようなことをですね、念頭に置きながら開発に入りました。

●紙資料の修復方法
には、ここに4つばかり、その代表的な方法を掲げてあります。





ひとつは裏張り法、伝統的な手法です。裏に和紙を糊で貼るというやり方になります。 繕い法というのは、穴の開いた所に同じ形の紙、和紙を切り抜いて周りをもやけさせて糊で貼っていく、穴だけを繕っていくという方法。
漉き嵌め法は、紙繊維の水溶液を、ねり剤を入れて撹拌して下から吸引する、その事によって穴の開いた所に和紙が漉き嵌められるという方法です。 私どもの方がこの方法です。
もうひとつがリーフキャスティング法です。 漉き嵌め法と同じ原理です。
修復文書を上げたり、水溶液を下げたりするわけですが、しかしねり剤を使わないんですね。
いわゆるとろろ葵に類する物を使わないわけです。
また現在は、繊維を空気中でばらばらにすれば水溶液を使わないで繊維を撹散して吸引して穴を埋めるという方法もあるようです。原理的には出来るわけです。
紙というのは繊維の水素イオンの交換だけでひとつの紙を形成しているわけです。
ですからその水素イオン結合をどうするかという事を考えれば紙は出来るわけです。

                       こういう図示、イラストで描きました。


裏貼りは、穴の開いている部分は、(修復後も) 穴が開いているわけです。
繕いというのはやはり同じで、漉き嵌めは全部埋まります。
そしてリーフキャスティングも埋まります。

       漉き嵌めの考え方とリーフキャスティングの考え方の違いを簡単に図示いたしました。


リーフキャスティングは文書や水溶液を上げ下げするんですね。
漉き嵌めの場合には下から水を吸引する。 事実上真空状態にする必要があります。

                    これが実際の私どもでやっている例です
                ここまで (解体・クリーニング) するのが実は大変なんです。

明日から仙台まわります。 東北大学の防災科学国際研究所へ先月行った時に、津波で被災した資料の真空凍結しているのが、どうにもならないのがあるからという事で、じゃあ技術支援に行きましょうかという事で機材を持って敦賀から車で参りましたけれども。
ここまでにするのが実は大変なんです。
いま解体・クリーニングの技術は、おそらく従来の方法よりは何分の一かで済むような技術はだんだん確立しつつあります。 (傷んだ古文書画像) ほとんど圧着状態です。
これ、開きません。 圧着状態、虫の糞で接着している状態です。 ここまで開けるんでも容易ではない。 まして実はこういう虫の食った所には虫の排泄物が黒く固着しているわけです。
そのなかにたとえば虫の卵がある場合もある。 したがってこういうところ全部取っていくんです。 100パーセント取るわけにはなかなかいかないですけれども、指の腹で最終的には確認します。 当たる物があった場合には除去しなければなりません。ここまでするのも実は大変なんです。

                       うちのやり方の特色はこれです。
                         これエクセルデータです。

用紙の縦横の長さを測って、これ面積を求めます。
そして、その原紙重量と書いてありますけれども、これ修復する文書の重さです。
小数点以下2ミリまで電子量りで量ります。
そしてあとは経験値で、その2倍を掛けて、そしてその一つ一つの文書について必要な繊維の重さ、たとえばこれですと1.13グラム、というのを、まあ手計算でも出来ますけれども、計算の桁違いを間違える人が多いものですから。
だいたい、いまお見せしたような文書、このぐらいですと、1平方センチあたりの紙の重量は0.002グラムから0.003グラムです。0.002グラムから0.003グラムがだいたいこの紙ぐらいですと、ちょっとこれは3に近いかもしれませんけれども、そのぐらいの重さです。
したがってそういう事が算出出来れば、こういった穴の開いた面積の総面積を求めて掛ければ、必要な材料量は出るわけです。
材料を計算するのに使っているソフトは、フォトショップ、エレメントでも十分です、画像を切り抜きをして、青の所を切り抜きをして、そしてピクセル数が出ますので、全体の画面のピクセル数と青の色域帯だけを切り抜いたものを比較出来れば比率が出ますので、あとは面積と総重量を掛けてやれば、簡単な数式、算数レベルで必要な材料量が求める事が出来ます。 そういう定量化に成功したからです。
これがそのデータです。1枚ずつ全部違っています。

                           完成品がこれです。
        どこが直ったかよく分かりませんでしょう。

        これ   が、こう 
            なるわけです。

厚みも変わりません。 漉き嵌め法だとリーフキャスティングと違って1枚1枚の紙の厚さ、重量に応じた材料を投入いたしますので、基本的には同じ厚みになるわけです。 薄い物は薄く、厚い物は厚く直るんです。



いま私たちは阪神淡路大震災以降新たな課題に直面をしています。
これあの、特に2004年の水害、福井水害、そして新潟の水害、由良川水系の水害、そして相次ぐ地震、特に東日本大震災ですね、こういった課題を抱えています。 それは私、共同研究の一員として関わってまいりました。

●この話をもう少ししたいと思うんですけれども。
では 「何故日本には奇跡的に大量の古文書が残ったのか」 という事を考えなければならないですね。




★ひとつは、武家政権というのが 「先例主義」 であったと。

例えば、関東ですと、徳川幕府は後北条とか武田家っていうのを非常に尊重しているんですね。
畑の年貢に永楽銭の永という字が付く永銭勘定というのがございますけれども、これあの後北条が中国の永楽通宝を大量に手に入れてそれを基準通貨とした事に始まっているんですけれども、幕末までこの呼称を使い続けます。 また入会権ですね、まあ立合山と入会山は違うんですけれども、入会山っていうのは村の中の境界なんですけれども、立合ってのは他村との境界を意味しますけれども。 その訴訟の時によく関東で出てくるのは後北条の虎の印判のある文書が出てきます。ほとんど偽物です。偽文書です。つまり後北条の時代にそういう物を貰っているからっていう正当性を主張するんですね。つまりそういうように
江戸幕府の評定所の裁決っていうのは 「先例主義」 っていうのを原則としているんです。

たとえば私が東京の西多摩で多摩川流域史研究会というのを四半世紀以上やっておりますけども、そこのなかで出てきた事例としては、玉川上水の浚いを従来やっていなかった村にかけるんですね、幕府、関東郡代が。 経験が無い事をやらされるんで、それは免除して、辞めてくれというふうに馬喰町の公事宿、つまり訴訟の時に使う所に村の連中はみんなで行ってですね、訴えようとする。 訴えたんですね、実際に、まだ正式じゃないけれど、明日ちゃんと訴えますからといって。 しかしその時に名主さんは気付いたんですよ。 なんか変だなっていうんで、一緒にいた村の若いやつをすぐ村に走らせる、調べさせたんですね、とってある古文書を。
そのためにとってあるんですから。 そうしましたらね、実際には行わなかったけれどもその玉川上水の浚いを請けた証文が残っていたんです。 実際には行わなかったんですよ、だから記憶になかったんです。 でも請けたっていう事実があるんですよ。 それですぐその知らせが届いて、馬喰町の関東郡代の屋敷へ行って、訴訟を取り下げさせてくれと、事なきを済む。 そんなふうに先例というのが非常に重視される社会だったという事がひとつの条件だったんですね。

★そして 「和紙と墨」 という比較的安価で優れたメディアの存在というのが欠かせない事なんです。 いま修復するのに水を使います。和紙は平気です。 洋紙はだめです。洗ったって大丈夫ですね。非常に丈夫です。 そして墨っていうのがですね、簡単には溶けないです。
非常に安定したメディアとして存在をした。
そしてそれは、技術的にもそんなに、本当にいい紙を作ろうとすると難しいですけれども、 「ちょっとくらい塵が入っていてもかまいません」。 そういった物を作るなら、比較的、技術的にはそんなに難しい物では無くて、何処でも出来たという事があると思います。

★それともうひとつ大きな条件というのは、寺子屋教育による 「識字率の高さ」 なんですね。 実際には、江戸時代の識字率というのは 70% くらいあったんではないかと言われてますけども。
たとえば イエズス会の宣教師が 布教に九州の方を歩く。
来ないんですね、子供たちが教会に。
何処に居るんだろうと思ったら お寺の寺子屋に居るんですよ。
ですからセミナリオを作る。 そしたらどっと来る。 そして布教が進んでいく。
「おそらくは、日本人は最も優れたキリスト教徒になるだろう」 という事をイエズス会本部に送っている文書がありますよね。 そのくらい、禅宗から受けた 「寺子屋教育」 というのが日本に普及していた。
識字率が高くないと読めませんからね。

★そして最も大きな理由は、ホロコースト
を伴うような大規模な対外戦争が、江戸時代、経験しなかったんですね。ローマの平和になぞらえて
「 パックス・徳川 」 という言葉がありますけども、太閤秀吉が文禄・慶長の役、壬辰・丁酉の倭乱と朝鮮史の方では言いますけれども、それ以降対外戦争をしなかったんですよ。
300年近く対外戦争をしなかった。 明治維新後、わずか100年でどれくらいの戦争をしたんでしょうね。 それを考えると奇跡的な時代なんですね。

たとえば ボスニアヘルツェゴビナの民族紛争の時に一番最初にロケット弾を撃ち込まれたのは 「国立図書館」 だったでしょ。 イスラム文献、7世紀以来の、壊滅させられたですよね。 相手の民族を失わせようと思ったら 「言語と文化の継ぎ」 を廃棄してしまえばいい、捨て去ってしまえばいいんですよ。 ですから 「国立図書館」 をロケット弾で攻撃するんです。

ポーランドが120年間、オーストリア・ハンガリー帝国に支配させられていても、独立を回復する。 その後近代化の中で、ヒトラーも含めて3回、4回と国を失いますけど、常にポーランドは国家を再生出来た。
それは 「ポーランド語」 とその上に乗っかっている 「文化」 だったんですね。

そういう意味で江戸時代っていうのは大規模な対外戦争がなかったんで、(古文書) 大量に残ったんです。いま、世界の学者たちは、町や村の庶民の資料が300年400年大量に残っている国というのは世界で日本しかないんですよ、 「これこそ世界遺産だ」 と言っているんです。 ところが捨てられている。



いま、消えていく集落、消滅集落、これ2007年の統計です。


10年後 に国交省がどういう推計をしているかというと、
四国圏で1.4パーセント、北陸圏で1.3パーセント。
四国は上がりますね。 四国ではいまね、高知大学がんばってますよ。 でも50軒ある集落があと5年しかもたないと言っています。 そして次は豪雪地帯の北陸圏です。 私、敦賀におりますんで、もうこの間の冬は助かりました、東京の方がよっぽど降りましたから。 でも今年は諦めてます。 たぶん今年は豪雪になるでしょう。 カメムシが多いですからね。
四国の次はこの豪雪地帯の北陸圏から集落が消えていくんです。 これ2007年の予測です。 10年後あと2年しかない。実はこれを上回る速度で集落は消えていきます。
そこに村の記録、地域の記録は多くの場合、一部しか救済されないんです。


朝倉の裏街道だった赤谷という集落があります。
孔雀石というヒ素の鉱石の大きいのがあるっていうんで有名な所なんですけども、盛時は50軒くらいあった。いま2軒ですよ。いま2軒です。その2軒も、ご主人は80歳を超えている。奥さんも後期高齢者です。なんとか守りたい、資料を。私ども入りました。しかし難しい。したがって最終的には朝倉資料館を通じて福井県文書館にお願いをしてそこで引き取っていただくという措置をいたしました。

●これからNHKの放送
を見ていただきますけれども、今日借りてきてありますので。
そこに出てくる小浜市の上根来(かみねごり)という集落、3年前に廃村になりました。若狭と京都を結ぶ最も古い街道の遠敷(おにゅう)街道の福井県側の最後の集落ですけれども、もう1軒も住んでないです。毎日通ってくる人はいますけれども、次の世代は全く省みないでしょうね。集落を放棄する時にお墓だけは金網を作って、お墓だけはまとめたんですね。獣害から守るためにですよ。


いま、日本は 「東京一極集中」 がさらに加速して、
まあ東京オリンピックでさらに加速するでしょう。 しかしこの10年というのは、残された最後の10年なんです。どういう事かというと、たとえば資料が、江戸時代の資料いっぱいある、読めないんですよみんな。 英語よりも読めないです。 何が書いてあるか解からない。 古文書読解講座の指導もやってますけどなかなか難しいですね。でも私はもう66です。団塊の世代の頂点です。1948年生まれですから。でもあと10年後には76、7になりますよ。そう簡単には出来ない年齢になります。
私を含めて嶺南15万、福井県南部、原子力発電所の最も世界で集約している原発地帯で、人口は江戸時代と変わらない。この15万の人口の中で古文書の指導が出来るのは、もう現状ですら5人いるか6人いるかです。10年後には1人か2人ですよ。歴史と民俗の宝庫といわれる若狭地方ですらそんなもんなんです。次世代地方の指導者を養成するのは私どもが元気なあと10年に限られているんですよ。
これは国民的危機なんです。


●それではここでちょっとNHKの番組を見ていただきたいと思います。
実はNHKではNHKワールドも含めまして4,5本番組を作っていただきました。
数ヶ月に及ぶ録画でしたけれども。見てください。NHKの9時のニュースの放送です。

 
(ナレーション) 江戸時代の茶屋番の日記です。
そのなかには、会津藩の一行が起こした騒動が記されていました。
荷物を運ぶために雇われた地元の住民が茶屋の前で会津藩の悪口を言ったところ、藩の役人が打ち首にしようとします。役人の関心を逸らそうと、茶屋番が持ち出したのは豊臣秀吉伝来とされる茶釜。場が和んだところで、住民に代わって詫びを入れ、事なきを得ました。機転を利かせて住民を救った茶屋番の姿が生き生きと描かれています。

(多仁先生) 一人一人の歴史があって、地域の歴史があって、そしてそれが積み重なっていくと国民の歴史になる。一つ一つの地域から歴史がきちんと、自分たちの足元から積み重なっていけばこの国全体の歴史の見方が変わってきますよ。

(ナレーション) 国内にある古文書は推計で20億点以上、その9割が民家の蔵などに眠っているとみられます。代々庄屋を務めてきたこの家の蔵には古文書が900点以上残されていますが、傷みが激しい物もあり、専門家に修復を依頼すれば数十万円の費用がかかります。

(古文書の持ち主) 読む人が読むと分かるんでしょうけど、僕ら素人は分からんもんですから、これ以上虫食いにならんように手入れして保管しておくだけで手いっぱいです。 (タイトル「“庶民の歴史”消える前に」)

(ナレーション) 多仁さんはいま、古文書が失われていく現状に大きな危機感を抱いています。この日、調査に訪れたのは誰も住まなくなった集落です。納屋の中を調べると、貴重な古文書が次々と出てきました。

(多仁先生) これ壬申地券の本物ですよ。明治5年壬申の年に初めて、土地の所有証券が発行されたんです。それがこれなんです。実はここら辺にはこれあまり残ってないですよ、これは。

(ナレーション) 大学で幕末の歴史を研究してきた多仁さん。古文書を保存する必要性を実感してきました。定年退職した後も傷んだ古文書を見つけ出し、自分で修復しています。

(多仁先生) (固着した古文書を取り出して) 板状に完全になっています。

(ナレーション) 多仁さんが使うのは身近にある道具ばかりです。汚れを取り除くのは歯ブラシ。細かく刻んだ和紙と水はミキサーにかけます。この液体を、裏返しに固定した古文書の上にかけます。最後に使うのは掃除機。水はあっという間に吸い取られていきます。古文書に開いた穴に和紙の繊維が詰まり、穴を塞ぐのです。この装置にかかった費用はおよそ20万円。専門化が使う装置の10分の1に抑えました。これまでに修復した古文書は1000点以上にのぼります。

(多仁先生) もう読めもしないし触れもしないからみんな焼いちゃったり捨てちゃったりするんですね。でもいまこうやってご覧いただいた通り、直るんですよ。おおよそその中身がきちんと分かるくらいには直せるんですね。ですから捨ててほしくないですね。

(ナレーション) 多仁さんは原本を持ち主に返す前に、必ず画像データとして保存し、その内容を読み解いてきました。東京の民家の蔵で見つかった古文書には、村人が団結し、領主の決定を覆した事が記されています。村では賭博が横行し、治安が悪化。幕府は村人に互いを監視させ、罪を犯した人の名前を札に書いて知らせる事を命じました。しかし、村人は人間関係が崩れてしまうと、連名で書状を作り、領主に撤回を要求。その願いが聞き届けられました。
こちらは滋賀県の民家に眠っていた古文書。参勤交代の意外な心得が記されています。 「船酔いを防ぐにはその川の水を一口飲めばいい」 「落馬して胸を強く打った時は蓮の葉を酒に混ぜて飲む」 当時の人々が信じていた生活の知恵です。 多仁さんが修復した古文書は地元の博物館も注目しています。
今後の防災対策にも役立つ情報が含まれていたからです。
空き家となった民家から見つかった、商人の日記。
このなかに、南海トラフを震源とする安政の大地震についての記述がありました。
震源地から離れた敦賀でも、余震が4ヶ月に渡って続いていた事がこの資料から初めて明らかになりました。さらに、ある地区で、家が3軒倒壊した事など詳細な被災状況が記録されていたのです。

博物館では南海トラフの地震に備えるうえで古文書が活用出来ると考えています。 (敦賀市立博物館館長 外岡慎一郎さん) その土地の履歴書と言うものをきちっと分かっていなければ、その土地が、あるいはその地域がね、これからどうしたらいいのかっていうその未来も見えてこないと思うんですよね。 たとえば、病院はあそこでいいんだろうかとかですね、避難所としてあそこは適当なんだろうかとかですね、そういうところに話を進められる可能性を持っているわけですね。

(多仁先生) 歴史資料をきちんと次の世代に伝えようと言う意志が各地域で出来てくればね、逆に地域を守っていくんじゃないですかね。
私たちの時代で消耗するのではなくて、歴史の情報を、次の世代へきちんと、われわれと同じような情報を伝えるという事がね、責務だと思うんですよね。

(ナレーション) 一度失われれば蘇る事の無い、庶民の声。
貴重な古文書を未来へ繋ぐ事が出来るのか。その分かれ目に差し掛かっています。
(アナウンサー1) その 「記憶」 という物は消えていくものであって 「記録」 された物だけが歴史として残るんだというふうに言われる事がありますけれども、まさにその事を考えますと、多仁さんの取り組み、いかに貴重かが分かります。
(アナウンサー2) 多仁さんのもとには自分の地域の古文書を修復したいと、他県からも方法を学びに来る人がいらっしゃるそうです。

NHKでこのニュース9の前にNHKワールドでも放送をして、世界にこういった活動を発信をしていただいています。


なぜ私たちが
こういった古文書を、ゴミですよね、はっきり言えば。普通の人から見れば。 ですから私の研究室を掃除のおばさんが手が付かなかったんです。
「先生の所に在る物は何がゴミで何がゴミじゃないか区別付かないから掃除は出来ません」 と言われました。まあ掃除があまり好きじゃないんでよかったんですけども。そうした一般の人から見ればゴミと同じかもしれない。 開けることも出来なければ触ったら崩れてしまうような物。 でも形がある物は必ず直るんです。 情報はかなり復元出来るんです。 では何故そういった努力を私たちはしなければいけないのか。
ここで、私4つばかりにまとめてみました。




ひとつは実は多くの古文書が 「公文書」 なんですよ。
公文書館法、そして公文書管理法がやっと出来ました。
思ったとおりの物には十分ではないんですけども、公文書の貴重さというのはなんだか漠然と分かってきた。 私は国税庁税務大学校 (租税資料室) に、片足を突っ込んで40年間仕事をしてきました。
そのなかで先ほどもご紹介したようにたった1点の保存規定も無い 「地租事務規程」 という、税務職員に税務監督時代に配られたマニュアルですよ。 財務省、当時大蔵省の理財局に反訴する資料が無かったんですよ。どういう事かというと、河川敷なんです。河川敷が 「官地成」 、昔は国有地を官地と言いましたね。 その 「官地成」 という3つの言葉でもって、現在の国有地、山陽新幹線 (山陽道) なんかが全部通っている。登記簿では 「民有地」 なんです。 その行政手続きを証明する資料が大蔵省に無いんですよ。 こんな訴訟書類を持ってこられた。
姫路だけで当時の国家賠償請求は 2000億円ですよ。
法務省が研究会を設けた事案です。 名古屋の市街地を含めて全国訴訟を起こされたんです。 それを保存規定もないたった1点の資料で全部取り下げさす事が出来たんです。

「公文書」 と言うのはそういう役割を持っているんです。
1000年に一遍、そういう事があればそれで十分 「帳尻」 が取れているんですよ。
「何の役に立つんだろう?」 よくね、  (文書を保存する役割を)
担当している人たちが疑問に思いながらやっている。 じつはね、
  「何の役に立つんだろう?誰も見ないんじゃないかこんなもん」。
  「とっておく事自体」 が大事なんです。役に立つ時があるんです。
1000年に一遍あれば それでいいんですよ。

国民を守る事が出来るんです、「国家の公文書」 というのは。
都道府県は都道府県民、市町村は市町村民を守るために公文書を、権利を守るために 「公文書を保存する」 責務があるんです。 本当は義務にしなきゃいけないと思います。 捨ててますよ、右から左へ。


でも実は 「近代の行政」 というのが、
たとえば 「宗門人別帳」 が 「戸籍簿」 の元になったように、「検地帳」 が 「地租改正」 の地租の基本になったように、連続してるんですよ。 「江戸時代」 と 「近代」 というのは。
だから 「公文書」 なんですよ。
連合戸長役場が出来る明治18年までは名主や庄屋の家が 「役宅」 だったんです。だからたまたまその個人の家がその役職をね、連合戸長役場に譲ったけれども、本は戸長、副戸長だった。 その書類を作るための紙代も筆代も給付されてるんです、地方税でね。 名主給、組頭給という給与が与えられている、ないしは免税されているんです。
●決して個人の物ではない。
ところが今みんなこれは 「個人の家」 だから 「個人の物」 だと思っている、大きな錯覚を起こしている。だからネットで売ってしまったり勝手に自分の判断で捨ててしまったりしているんですね。これは大損失なんです。実は権利を証明する物を失わせているんですよ。

一方、じゃあ日記やなんかはどうなんだろう。 帳簿はどうなんだろう。 そうした私文書は町や村、家族の歴史的個性を知る事が出来る文書なんです。

先ほど、廃村というのは上根来 (かみねごり) です。遠敷 (おにゅう) 街道という京都と小浜を結ぶ主要街道だったんです。明治の資料いっぱい廃棄されるところを救ってくれたおじいちゃんがいた。これを見ていたんです。遠敷街道を明治の10年、20年代にどういう荷物がどのぐらい通ったか把握出来る資料なんです。当時の交通体系を知る事が出来るんですね。
そしてその遠敷街道を鞍馬街道に向け繋がっていきますけれども、その行程に朽木村 (くつきむら) にですね、大宮神社という大きな神社があるんですよ。山の中になんでこんなに大きな神社がある?と不思議に思いました。調査をしていて。
いま1000社くらい神社まわってます。


● 「文書」 だけじゃなくて実は危機に瀕しているのは、神社の境内やお寺にある 「石造遺物」 これも危機に瀕しているんです。 道路が通る、新しい道路が。補償金が入ります。集落はたいてい神社直しちゃう。
古くて汚い物はみんな捨てちゃうんですね。 そして表面が風化して読め無くなる。その文字を、どうやってか何かの方法で回復して見えるように、可視化しようといういま研究もやっている。

それはたとえばブリティッシュミュージアムだったら36個の半球体にカメラつけてタブレットを撮り、いろんな角度から当ててみてますよ。 ただし平らじゃない、石灯籠は、丸い。苔が付いたりする。いま地衣類が付いていてもだいたい読めるようになりました。一緒にやってくれている方にはJICA、イトカワという小惑星に探査機を入れて画像解析でやっている方もいます。共同研究申し込まれた時にですね、もしかしたら研究は隕石をやっています? そうです、ああ隕石も神社の石灯籠も宇宙の石だから、じゃあやりましょうかといってお願いしました。 同じなんですよ。



●いま生物多様性
という言葉が世間で氾濫していますよね。
生物の多様性が失われたら人類も危ない と言われています。
ですから絶滅危惧種に指定して保護している。
じゃあ 何故それぞれの土地のそういった多様性というのを平気で捨てていくんだと。 東京は地方が無くたって成り立つんですよというんです。 私も東京生まれ東京育ちですからよく分かります。 お金さえあれば、世界から物を買って、エネルギーだって食品でも何でも買える時代ですよ。 だから地方が無くたって東京は成立する。しかし私たちは東京だけに住んでいる訳では無い。
一つ一つの集落は確かに消えていく。
しかし地方が無くなる訳では無い。

だったら豊かな地方、個性ある地方を創造して再生していく事以外に この国全体としては残る道は無いわけですよね。 その基礎となるのが 「資料」 なんですよ。
「古文書」 なんです。 「歴史資料」 なんです。
そして初めて、地域の民俗や絆が育まれて 「消滅から地域を守る」 事が出来る。
そして一人一人にとっては、歴史から自らの拠って成り立つところを明らかにする事、それは時系列の中で、時系列の変化の中で、自分の拠って立つ位置を確認する事なんです。

皆さんが毎日のお仕事、忙しいと思う。
でもふと振り返った時に自分はどこに立っていたんだろうかということで解からなくなるという事ありませんか? 私はよくありましたよ、歴史やってるんで。 本当にこれやってて良いんだろうかと。 何の為に成るのかなと。 でもそういう時にしっかりとした自分の拠って成り立つ処を確認出来ていれば次へ進む事も出来ると思います。

なによりも、未来の人々にも 「私たちと同じ情報」 「権利と絆を確認するチャンス」 をですね、残していかなければならない。過去の歴史資料というのは、まさしく未来への遺産づくりなんですね。 そして地域を守る事、そして国民を守る事に繋がっていく。 そういう立場に立って、もう固着して開かない資料をですね、いろんな技術開発をしながら、毎日やっています。





この後、明日から仙台まわります。
津波で被災して真空管凍結乾燥法で処理はしてあるけどカビが防げない。 真空管凍結乾燥法では、臭いが消えないんです。有機分解が進むんです。
ですからそれを、私どもの所では水損した資料を高温処理しています。 あんまり、文化財保存科学会では言えないような事なんですけれども、実はこの、国立博物館の資料の課長が私の後輩なもんですから、いまちょうどオランダからレンブラントの和紙の研究で、関西空港からいま羽田に向かっているんですけれども、まあ、会えないかもしれないんで、今日ちょっと会いたかった理由は話すよと。 体験的に出来ている。持ったらボロボロ、バラバラになってしまうような傷んだ水損資料 が、紙力が回復している。 ほとんど破損なく捲れるように出来ている、出来ているんだけども、理屈は分からんと。 大学を失った私にはもうそれを調査する方法がない。
だからちょっと協力してくれないかと、分かりましたという話を、この講演の前に電話で話したのですけれども。 いろんな技術というのが求められます。

デジタルもそうですけど、簡単にデジタル化なんて出来ませんからね。どういう事かというと、たとえば公文書をデジタル化する、ひとつひとつの画面を撮るのは簡単な事ですよ。 しかしそれでは証拠能力がなくなってしまう。
公文書解体マニュアルというのを国立公文書館が公表しています。
でも1999年の全資料協の高松大会の時にその危険は指摘しているわけです。たとえば、綴じ紐を抜いて撮影しちゃ駄目ですよ。 ページが入れ替わるかもしれないから。そんな簡単な事でいいんです。それぞれの皆さんが情報を保存しようという人たちの知識と技術を持ち寄って集大成していかなければなりません。
多様なんです、メディアは。もう紙だけじゃない。

たとえばこんな経験があります。 敦賀に西福寺というお寺があります。 神護景雲経があるんです。 聖武天皇、光明皇后が、国分寺、国分尼寺に寄進した物ですよ。 紺地金泥経です。
要するに紺地和紙に金で書いてある経文がある。
白カビが生えたっていうんで文化庁事技務官と一緒に行きました。 思わずこう言ったんです。 「天平のブラックジャックがいた」 と。 どういう事かというと、和紙って半分に割れるんですね。 ですから上手な表具師さんって先に二つにしちゃうんですけれども、巻子本を捲って裏から見るとなんにも傷が無い。 ところが表捲っていったら親指のこの形にですね、破れているんですよ。 なんとそれをですね絹糸32針で縫って引き攣れが無いんです。 巻子本ですよ、丸まっているからストレスかかるんですよ。 当然紙より糸のほうが強いから引っ張られるでしょ、ぜんぜん分からない。
で思わずブラックジャックがいたと言ったんですが、いろんな方法が実はあるんですよね。 それは一つ一つ、一人一人の方々が情報を保存し修復していくなかで、体験をされている。
たとえばマイクロフィルムの劣化、劣化したマイクロフィルム大問題ですよね、うちでも去年、液状化2本しました。 液状化した最後は粉になります。 ワカメ状になったマイクロフィルム、もう10数年前から、デジタルカメラだけで撮影をしている。 新聞一枚、銀箔が浮いた所以外は、情報はプリントしても大丈夫なようにしてありますよ。 それにかかった費用が数千円です。

人間の力ですよ、 最後は。 人間の目と力、 技なんですね。
そういった智恵を、みなさんいろんな経験をお持ちだと思う。
そういうものを寄せ合ってですね、ぜひこの国の 「現状で残っている資料」 を少しでも多く
次の世代に伝えていただきたいと思います。


私も出来るだけの事は協力いたします。
たとえば、ちょっといま、研修を受け入れる事は、ちょっと難しい現状にありますけれども、来年の5月以降ですと、従来からやっていたようなやり方で、一定の費用で、まあ正直言って1回1万円なんですけれども、そのあと何回来てもタダなんですけれども、そういうかたちでですね、単なる興味ある方だけを排除するようなかたちで研修を今まで受け入れてきました。
企業からの研修も受け入れてきました。実際の古文書、近世文書を、実際に修復する事はなかなか出来ないです。 私どもの所では、万を超えるほど修復しなければならない古文書の枚数を持ってますんで、そして仮に研修に来られた方が失敗してもクリア出来る技術を持っておりますので、いきなり本物をやらせます。
この資料、もし失敗したらあなた歴史を失わせてしまいますよ、その緊張感が大事なんです。 5月以降はご連絡いただければ涛声学舎のホームページにアドレスがありますので、若干の費用はいただきますけれども、そのあとはいただきませんので、ご自由に、ひとつ、技術をですね、見に、また学んでいただいて、さらにそれぞれの技術をですね、交流して、この国の、この国の財産です、次の世代にしっかりと伝えていく事にお互いに協力していっていければと思っています。 よろしくお願いいたします。 どうも本日はありがとうございました。


(司会): 多仁先生ありがとうございました。 それでは一旦小休憩を挟まさせていただきます。そのあと、資料保存実用講座その1を開始しますのでよろしくお願いいたします。   以上


  多仁先生講演内容について:

  国際マイクロ写真工業社内にて下記をボランティアにて実行
       記
  ・ビデオ撮影・デジカメ撮影
  ・テキスト化
  ・映像編集 (16分48秒・6分10秒・1分に編集) 内容を多仁先生に確認
  ・YouTube 配信
  ・当社HPにおける全文の参照